「からだの言葉」

心療内科 加藤 明子

先日読んだ本に「からだの言葉」という言い回しがあった。

高齢の女性が救急室へ運ばれてくる。身体をくの字に曲げ、脂汗をかいて苦しんでいる。

研修医が問診を取る。「お婆さん、腹が痛いの?」「いてえよ〜、助けてよ〜」「右側?左側?」「とにかくいてえよ〜」「いつから痛むの?」「いてえよ〜」「食事との関係は?」「いてえよ〜、先生、いてえよ〜」・・・。

そこへ指導医が現れ、「婆ちゃん、すぐ助けるからな。たぶん胆嚢炎だ。しばらく入院してもらうから」。背中をさすりながら「痛み止め打ったら、すぐ楽になるぞ」と声をかける。

すると、あれほど痛がっていたお婆ちゃんが「そう、ありがと、先生」・・・落ち着いてしまうのだ。まだ注射もうっていないのに!

 後程、指導医から「年齢、性別、あの顔色、痛がる様子、胆嚢炎くらいだろう」と言われ、研修医は、必死の問診で得られなかった病歴が患者の全身で表現されていたことを知る。

そして、医師の態度次第であれほどの痛みが消えてしまうことに驚く。

このエピソードを通して、作者は「どんな言葉よりも"からだの言葉"は人に伝わる力をもつ」と言っている(石川憲彦、小倉清、河合洋、斎藤慶子.子どもの心身症.東京:岩崎学術出版社;1987)。

心療内科で扱う「心身症」、それはまさに「からだの言葉(身体を介して表現される言葉)」です。

本人は「行きたい」と言っても、学校へ行こうとするとお腹が痛くなる。

それは自分も気づかない「からだの言葉」です。

「行きたくない」気持ちを押し殺していると、押しつぶされた気持ちは、いずれ「からだの言葉」となって叫び出すのです。

ご本人も家族も「症状さえ無くなれば学校へ行けるのに」とおっしゃいますが、薬で症状をごまかして「からだの言葉」に耳を塞いでいる限り、学校へ行けるようにはなりません。

「からだ」が代弁している本当の気持ちに気がついて、そのうえで「行きたくない」「それじゃあどうしようか?」と考えられるようになるまで、「からだの言葉」は叫び続けるのです。

身体の調子がおかしいとき、押し殺している本当の気持ちを見つめ直してください。

見つめ直してからが、本当の治療です。



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