漢方外来

医師紹介

漢方外来医師   大関 潤一

漢方外来医師   奈良 範子

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概要

"抜苦与薬"こそ医療の原点、さまざまな治療の手法を柔軟に受け入れる

平成2年、漢方医学界の重鎮、寺師睦宗先生を招き「みちのく漢方研究会」が盛岡市で開かれたときのことだ。
参加者の中に、その場で寺師先生を"師匠"と勝手に決め込んでしまった一人の医師がいた。
多忙な県立病院勤務を離れ、これからは今までやりたくともできなかったことを、と思っていた矢先だった。
「講義が素晴らしいばかりでなく、先生の人柄にも惚れ込んでしまったのです。」
さっそく、寺師先生が主催する"漢方三考塾"に入れてもらい、毎月東京へと通いはじめた。
それまで独学の域を出なかった大関潤一先生の漢方との関わりは、このときから本格的な修練へと変わった。
三考塾では、寺師先生、高山宏世先生や原田康治先生から漢方の考え方と実践の手法を学んだ。
なによりも刺激になったのは、全国から集まってくる医師や薬剤師の、すさまじいばかりの漢方への情熱と実力の高さだった。
「なんとか早くこのレベルに追いつきたいと…」
1年間だけのつもりだった塾通いは、結局、途切れることなく今年で13年目を迎えることになった。
平成3年1月から盛岡友愛病院に勤務。その日以来、西洋医学的治療に加えて、漢方治療を日常診療に併用してきた。
「そのときがこの漢方外来の開設。私自身はそのつもりでいます。」

【 患者さんがよくならなければ意味がない 】
大関先生が担当する漢方外来は、病院で所属する脳神経外科に設けられている。
「患者層は子供さんから高齢の方までさまざまですが、どちらかというと高齢者が多く、性別では女性がやや多いのではないでしょうか。」
その他、常時20〜30人の入院患者にも漢方治療を応用している。
主な対象疾患は、頭痛、肩・腰・膝等の疼痛疾患、リウマチ、めまい、肩こり、うつ状態、自律神経失調症、冷え症、多汗症、更年期の不定愁訴など。
用いる漢方薬はエキス剤と煎薬がほぼ半々、頭皮鍼や皮内鍼、瀉血などの治療法も必要に応じて行っている。
「難しいことはよくわかりませんが、私は臨床家ですし、自分が病気や交通事故で苦しんだ経験から、いくら理屈を並べても患者さんが少しでもよくならなければ意味がないと考えています。そのためには、方法はどんなものでもかまわないと思っています。」
薬物治療のほとんどのケースで西洋薬と漢方薬が併用されている。
西洋医学的治療で症状が改善するのならばそれでいいし、自分の手に余る患者さんならば病院の内外を問わず専門医に紹介するようにもしている。
「先日も、三叉神経痛の高校生の小脳橋角部腫瘍をCTでみつけました。そうしたことはきっちりとやっていかなければいけないし、多大な西洋医学の恩恵を否定する気持ちは毛頭ありません。ただ、たとえば大学病院の検査などでも何もみつからない、だけど確かに苦しんでいるという人々がいるのもまた事実です。」
こうした例を漢方医学的に診ていくと、西洋医学とは違ったさまざまな情報が得られる。
大関先生はそれらをもとにエキス剤を選び、煎薬を考慮し、場合によっては鍼や瀉血を併用する。
そうすることで患者さん一人ひとりのQOLを少しでも高めてあげられるように思うからだ。
「たとえ完全にではなくとも、半分、三分の一でも苦痛を取り除いてあげられれば、患者さんの気持ちも明るい方向に変わってくれるのではないか。そう願いながら毎日の診察に当たっています。」



【 いいものは何でも採り入れる 】

大関先生がよく使うという処方のリストをみると、身痛逐オ湯、治肩背拘急方、玉屏風散など珍しい名前も並んでいる。
「漢方医学的に考えてその患者さんによさそうだと思う処方は、古方であれ、後世方であれ、中医であれ、何でも使っています。だから、私の考え方は漢方"医学"というよりも、むしろ漢方"医療"なんです。」
興味深い知見や手法に触れたときも、積極的に治療に採り入れている。たとえば、脳出血から高度右片麻痺が残存した男性のこんな例があった。
リハビリ入院中に右肩・背部・上腕の激痛と右上肢の運動障害を訴えた。整形外科的治療、薬物治療、理学療法、神経ブロック療法のいずれも無効で、鍼治療や坐薬でも患者の満足する疼痛の改善は得られなかった。そこで、名古屋の井上淳子先生が指摘した"隠れた裏寒証"という考え方などを参考に、二朮湯に附子末を加えて投与してみた。すると次第に痛みが軽減し、9日目には坐薬は不要となるまでに改善し、右上肢も自由に挙げられるようになった。VAS(viaual analogue scale)は90〜100oから10〜20oに改善した。
「激しく、持続する痛みは湿痺に裏寒証が伴ったために起こったのではないかと考えたのです。
小青竜湯の効きが悪くなった最近のアレルギー性鼻炎には附子を加えるとよいという山本巖先生のご指摘を読んでいましたし、京都の江部洋一郎先生からはリウマチの漢方療法では附子末を加える疼痛が著名に改善するというお話も聞いていましたから、それらもヒントにしました。」
漢方医学的に診断をするときにも一工夫がある。
やはり江部洋一郎先生が提唱する"経方的腹診法"を、従来からの腹診の手順に加えて必ず行うようにしているという。
心窩部剣状突起の下を上方に向けて圧迫してみる。このときに患者が左前胸部や咽に閉塞感を自覚するようならば、いわゆる"小結胸症"とされる徴候で小陥胸湯の証である。
大関先生は肋間神経痛様の胸痛を訴えた複数の患者でこの所見をみつけ、治療が奏効した例を経験している。
「この方法によって、肋骨の内側に隠された病理変化を腹診から判断できると考えられます。
江部先生によると、小結胸症は健康体の人にも潜在化していることが少なくないということですから、これが確認できれば多くの疾患に小陥胸湯が応用できるかもしれないわけです。」
これらのエピソードは、単に結果を現しているだけでなく、さまざまな手法を柔軟に受け入れ応用していけば、治療の手段が広がっていく可能性をも示している。
「患者さんが元気に毎日過ごせればそれでいいのではないでしょうか。流派のようなものにとらわれず、何でも試してみる。誰の言葉かは知りませんが、"抜苦与薬"というのが私の座右の銘。それが医療の原点ではないかと考えています。」


【 東西医学の歩み寄りが不可避な時代 】

大関先生が最初に漢方を治療に用いたのは、岩手県立北上病院の脳外科に勤務していた昭和53年頃のことだった。
50歳前後の女性タクシー運転手が、交通事故後に遷延した頑固なめまいで入退院を繰り返していた。
何かいい治療法はないものかと大塚敬節先生の『漢方医学』を読んでいたところ、半夏白朮天麻湯がこの患者にぴったりなように感じた。さっそく漢方に詳しい薬局で調剤してもらい投与してみたところ著効した。
「漢方ってこんなに効くものなのかと実感できた貴重な症例でした。それ以来、大塚先生の本を頼りに自己流でエキス剤を使い始めたのです。」
そもそも、どんな医学も万能ではないことに気づいたのが漢方医学に注目した理由だった。
万能ではないのだとすれば、立場の違う医学がお互いに補い合っていく姿勢が重要ではないかと大関先生は考えている。
「ある本に"違いを対立ととらえて相手と戦って勝つという思想は東洋思想にはない。むしろ違いを違いとして認め合いながら共存する。そこに自他共に生きる道が開けてくる"とありました。医療も同じではありませんか?」
受け入れがたい部分はあっても、よいところは採り入れる。その結果、患者さんが救われるのならばなおさらだ。治療を受ける側にみられる最近の風潮はそれを促しているともいえる。
「多くの患者さんが西洋医学だけに満足できず、漢方治療を希望し、代替医療を受け、健康食品に関心を寄せている。そんな現状をみると、これからは東西医学の歩み寄りは不可避なように思います。」


【 「漢方の宝探し」を続けていきたい 】
専門が脳外科ということもあって、大関先生はいま、脳卒中後遺症の痛みや痺れには特に関心を持っている。解決が難しい領域で、西洋医学や漢方薬だけでなく鍼灸や瀉血などの併用が欠かせないというのが実感という。
「その意味でも、できればもっと幅広く東洋医学の治療法を実地研修で学んでいきたいと思っています。そして将来は、漢方医ばかりでなく他のスタッフと一緒に東洋医学全般を扱う診療科に発展していけたらと、これは夢ですけれどもね。」
その夢に向けて、これまで取り組んできたことを着実に続けていくことも大切だと思っている。一つは『傷寒・金匱』を中心とした勉強会。
「先日、山形漢方古典研究会のレポートを拝見したのですが、長い歴史を持ち、参加される先生方も多く、和やかな雰囲気でうらやましく思いました。私たちの身近ではまだまだそこまでいきません。同好の士がもっと増えてくれることを願っています。」
もう一つ、以前から寺師先生に「経験する一例一例が貴重。それを報告していくことが漢方の勉強に役立つ」と教わってきた。
「たとえば、学会発表などは大変ですが、文献を読みながら試行錯誤することで自分の勉強にもなります。質問に答えられないときでも、逆にその質問から教えられるものがあるわけで、恥ずかしさは感じません。内容がたとえ不十分でも、それは現在の自分の勉強過程を示しているといえますから、今後も症例報告はできるだけ続けていくつもりです。」
三考塾からは毎月、恩師の先生方が古典を講義した際の講義録とテープが送られてくる。
学会発表や雑誌論文をまとめるときには必ずそれらを読み返し、聴き直す。
そのたびにいつも、膨大な活字と音声の中に漢方の宝物がいっぱい詰まっていると感じる。
「それを利用しないとすればほんとうに宝の持ち腐れです。これからも少しずつ、宝探しを続けていきたい、そう思っています。」

 



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