友愛ニュース


雑感・・・「人を看る」ということ

消化器外科部長 西成 尚人

 私がここに勤務して2年半が過ぎました。
早いものです。
その間にも、いろいろな患者さんたちと巡り会い、多くの人生を見てきました。
人が人を看るということ、時にはその人の人生最後の場に立ち会うことにもなります。
 私が患者さんを治療するためには、病院全体、一人一人のスタッフの力が無くては出来ないことであって、手術もしかり、ひとつ薬や注射を指示するのもそうです。
常にそのことを理解しているつもりなのですが、私は、まだ人間未熟であり、往々にしてスタッフに厳しく当たることが多いようです。
この場を借りますが、これまでの(これからも?)いろいろな無礼をお許しください。
 私が厳しい理由はご存知でしょう。
患者さんにとって、あるいは人間として好ましくないと感じたとき、私は自身の感情を抑えることが難しくなります。
私は、私を取り巻く医療スタッフに、これからの近未来、ロボットが取って代われるような機械的な対応は望んでいません。
望むのはただ、人間らしい暖かみ、やさしさを感じてもらえる医療なのですが、実はこれ、とても難しいのです。
人間である以上、私も含めてその日の感情、日常のイライラなどに押し流されてしまうことも多いでしょうから…。
 でも、患者さんを目の前にすると、私は自分に素直になれます。
それは、その患者さんが今頼れるのは自分だからでしょうか? 患者さんが苦しんでいるからでしょうか? 患者さんが、私を信頼してくれていると感じることが出来るからです。
信頼が足りないと感じれば、感じられるよう心を向けられるからです。
 患者さんにとって不利益であることを、もしも平気で出来る人間がいたら医療従事者として失格です。
悲しみに暮れる患者さんや家族の横で笑って話が出来たり、人生最後の瞬間を大切にしてあげることの出来ない人も同様でしょう、当たり前ですね。
人間として必要最小限の心の配慮ではないでしょうか。
でも精一杯の仕事をしても、思いが伝わらず、ことばが足りず、不幸にして患者さんから反感を買う場合もあるでしょう。
でもそれは、心から誤解を与えてしまったことを謝ればいいことです。
素直に謝る心を持ち合わせた人間は、信頼できます。
人間はやさしくなれる、解り合える、きちんと謝ることが出来る人間は信頼できる…そのことを忘れてはいけません。

 いつも思うことですが、怒っている人に対してどう接するかは重要な問題です。
患者さんも何かしら不愉快な思いから憤慨する場合があるでしょう。
自分に原因がある場合はもちろんですが、自分のせいではないと思っても、患者さんから見れば同じ病院の職員です。
まず、その失礼を詫びること、その後にやっと、どうしてそうなってしまったのか、どう対処すればいいのかが始まります。
ただ単に(他人事のように)「はあ、そうですか。それ、私じゃないから分からないなぁ、ちょっとお待ちください。」
これは問題です。
怒りを受け入れてもらえないとき、怒りの矛先を変えられてしまうとき、人は、怒りのやり場を失ってしまい、他へのはけ口を探す以外なくなってしまいます。
応えたつもりでも、それは答えではないんです。
「そうであったとすれば、大変申し訳なかったですね。」という言葉があって初めて「取り急ぎ確認してお答えします。」でなくてはいけません。
自分が相手の立場だったらどう思うか、どうして欲しいのか、それが解らなければ、人を看ることなど叶わないのですから。
 今まで、色々な病院で 色々なスタッフの屁理屈を聞いてきました。
「患者さんが、私のいうことを聞いてくれない…」「あの患者さんに、どう言ったって無理…」など、これらは私に対しての相談ではありません、明らかに屁理屈です。
そこに必要なのは「解ってもらえるよう表現を変えてみる」「自分を信頼してもらえるように接する」などの努力ではないのでしょうか。
 患者さんの背景や一面を見て、その人間像を決めつけてしまうこと、ありませんか? 
大きな間違いです。
そして時にありがちなことなのです。
思いこみを持たず、直接自分で接し、見て、感じたことを大切に看護することが重要だと思います。
実は物事を判断するにあたって、人の話ほど当てにならないものはないのです。
「人を看る」ということは、「人を見る」ことではありません。
「人を看る」ためには技術も必要でしょう、経験も必要かもしれません。
でも、一番大切なのは 自分を信頼してもらい、患者さんに心を許してもらうことだと思っています。

 ところで、挨拶の行き届いた職場は、相手に信頼感を与えることをご存知ですか? 
人間の付き合いの基本が「あいさつ」だからです。
挨拶をするということは、相手が自分を意識してくれたという証です。
まして相手が声をかけたり挨拶しているのにもかかわらず、それを無視したら相手に不快感を与えるのは当然ですね。
挨拶に限らず、明らかにおかしいと感じていても、周りがしていないからしない、考えない…これこそおかしいと、私は思うのですが。
 私たちが医療の現場に携わるようになったきっかけ、それは人それぞれでしょう。
理想と現実の違いはどのような職場でもあると思います。
現実が自分の理想とかけ離れたり、自分が仕事に慣れたときに人は初心を忘れがちです。
患者さんの思いを常に感じ取れるよう、私を含めて、普段から自分の心も看ていく必要があるのではないかと思います。

友愛ニュースインデックスへ>>