いつも思うことですが、怒っている人に対してどう接するかは重要な問題です。
患者さんも何かしら不愉快な思いから憤慨する場合があるでしょう。
自分に原因がある場合はもちろんですが、自分のせいではないと思っても、患者さんから見れば同じ病院の職員です。
まず、その失礼を詫びること、その後にやっと、どうしてそうなってしまったのか、どう対処すればいいのかが始まります。
ただ単に(他人事のように)「はあ、そうですか。それ、私じゃないから分からないなぁ、ちょっとお待ちください。」
これは問題です。
怒りを受け入れてもらえないとき、怒りの矛先を変えられてしまうとき、人は、怒りのやり場を失ってしまい、他へのはけ口を探す以外なくなってしまいます。
応えたつもりでも、それは答えではないんです。
「そうであったとすれば、大変申し訳なかったですね。」という言葉があって初めて「取り急ぎ確認してお答えします。」でなくてはいけません。
自分が相手の立場だったらどう思うか、どうして欲しいのか、それが解らなければ、人を看ることなど叶わないのですから。
今まで、色々な病院で 色々なスタッフの屁理屈を聞いてきました。
「患者さんが、私のいうことを聞いてくれない…」「あの患者さんに、どう言ったって無理…」など、これらは私に対しての相談ではありません、明らかに屁理屈です。
そこに必要なのは「解ってもらえるよう表現を変えてみる」「自分を信頼してもらえるように接する」などの努力ではないのでしょうか。
患者さんの背景や一面を見て、その人間像を決めつけてしまうこと、ありませんか?
大きな間違いです。
そして時にありがちなことなのです。
思いこみを持たず、直接自分で接し、見て、感じたことを大切に看護することが重要だと思います。
実は物事を判断するにあたって、人の話ほど当てにならないものはないのです。
「人を看る」ということは、「人を見る」ことではありません。
「人を看る」ためには技術も必要でしょう、経験も必要かもしれません。
でも、一番大切なのは 自分を信頼してもらい、患者さんに心を許してもらうことだと思っています。
ところで、挨拶の行き届いた職場は、相手に信頼感を与えることをご存知ですか?
人間の付き合いの基本が「あいさつ」だからです。
挨拶をするということは、相手が自分を意識してくれたという証です。
まして相手が声をかけたり挨拶しているのにもかかわらず、それを無視したら相手に不快感を与えるのは当然ですね。
挨拶に限らず、明らかにおかしいと感じていても、周りがしていないからしない、考えない…これこそおかしいと、私は思うのですが。
私たちが医療の現場に携わるようになったきっかけ、それは人それぞれでしょう。
理想と現実の違いはどのような職場でもあると思います。
現実が自分の理想とかけ離れたり、自分が仕事に慣れたときに人は初心を忘れがちです。
患者さんの思いを常に感じ取れるよう、私を含めて、普段から自分の心も看ていく必要があるのではないかと思います。