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岩手20名山紀行                 第2内科部長 北澤 俊一

水無月の二日、奇跡が起きました。
南3Fの藤原さんが致命的な自動車事故に遭ったのです。
彼女が運転する軽自動車が、信号のない交差点でトラックと激しく衝突しました。
彼女の車は全損でしたが、身体はシートベルトの痕が皮膚に残っただけでした。
外傷も骨折もありませんでした。
 山の神様が、一瞬の間に命を救ってくれたと本人は語っていました。私はそれを信じています。 
 事故から、僅か10日後の朝、彼女は登山服姿で、天文学的薄明のなかに、ゆったりと立っていました。
レモンとバナナとサクマのドロップの缶を携えて、いつもように笑みを浮かべて…。
 事故の前と違うのは、自分の名前を藤原 紀香だと間違える事ぐらいで、後遺症はありませんでした。
登山口まで2時間を要する焼石岳は、隊員の誰にとっても未踏峰でした。
この山が選ばれた経緯を以下に再現します。
 隊長の吉田 弘之先生が、三重県の学会に出席するため、花巻から空路を辿りました。
 ふと、窓の外を見ると雪渓の鮮やかな山群が目に入りました。
美しいが、何という山だろうと思いあぐねて、眼を機内に転じると、一冊の分厚い雑誌を発見しました。 
「山と渓谷」…。めくると焼石岳の記事、めくるめく花の写真…。候補はただちに決定されました。
アプローチの長い山でした。
登山隊12名は、三台の車に分乗し病院駐車場を5時に出発しました。 
高速道を水沢インターで降り、国道397号を内陸へ県境へと突き進みました。
途中から、瑠璃星カミキリの模様のように雪田を身に纏った山塊が迫って来ました。 
 国道を降りると、標高230mにあるリミット40台の駐車場を目指し、すれ違えないほど狭い悪路を1台のシトロエンと2台のホンダのステップワゴンが登って行きました。
 パーキングは、既に満杯でした。その上、10台以上が道路脇に停めていました。
もう30分の早立ちが必要と考えました。
頂上までの所要時間3時間半でした。
しかし急勾配、鎖、梯子などのない登山路で危険はありませんでした。
 長い登りでしたが、飽きることはありませんでした。
それは、登山路が多くの魅力に満ちていたからです。
 溢れる新緑、澄み切った三つの湖沼、スキーができるほどの、広い雪渓そして咲き誇る高山植物。
 いくら長くても、時さえも忘れる映画のように、頂上に導かれてゆきました。
 ハクサンイチゲ、コバイケイソウ、イワカガミ、ミヤマシオガマ、ミヤマキンバイ、ヒナザクラそして水芭蕉を湿原の上に配置された木道を辿るその時、いつかどこかで見たような不思議な感覚におそわれました。
 前世…か。
 いまだに奇妙な感覚が消えません。
 山頂近くから、霧にまかれケルンを頼りに上りました。
 風が強く体感温度は低下し、手袋を外すことはできませんでした。霧の向こうに、頂上を示す柱が見えた瞬間、走るように登り切りました。
自然に「やったー、初登頂、ばんざーい!」と叫んでいました。
 1548メートルの頂上に12人全員が登り切り、寒気のなか冷えたビールで乾杯しました。
 旨かった…。
 中高年が山へ向かう理由は自然への回帰だと思います。
極論すれば、花に会いに行くのではないでしょうか。
イワカガミの紅はルビーに勝るようでした。生きる力、生きる喜びがぎっしり詰まった贈り物のようです。
自然という酸素をふんだんに吸い込んだ男の顔は凛々しくなり、女性は美しさを増し、沸き上がるオーラを放っていました。
下りは足に体重の2倍以上の負担が掛るため、常につらいものですが、ケガもなく全員無事に降りることができました。
 最後に山好きな人々を護ってくれた焼石連峰の神々に感謝と祈りを捧げます。
また難路を苦労して運転してくれた、ホンダステップワゴンのドライバー、吉田先生、小原次長に心から感謝します。
 山から帰って10日が過ぎても、外来の菊池さんはまだ感動のなかにいました。 
素晴らしい山でしたねと、遠い眼で南南西を見ています。
私の脳裏にも、姥石平から東焼石岳まで広がる純白のハクサンイチゲの広々とした空中庭園が蘇りました。
皆さん、また来年、行きませんか。

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