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第一次鳥海山遠征記                   報道部 北澤 俊一

         
           

  去る7月8日〜9日、『山と自然を愛でる会』一行21名は憧れの鳥海山(2236m)に登り全員無事で帰って来ました。
 土曜の仕事をきっちりこなし、14時40分。
 岩手県交通の大型バスをチャーターした私たちは、一路ベースキャンプの鳥海莊を目指しました。17時40分宿舎に到着、翌日のアタックのため夕食は宴会なし。就寝は21時でした。しかし二次会、ウィンブルドン、ワールドカップの誘惑は強力でした。
 日曜は4時起床。窓の外には均整のとれた美しい山。
バスに乗り込み約40分で祓川の登山口に到着しました。
そこには既に今回の遠征の幹事役を務めて頂いた佐藤病院産婦人科の佐藤先生を始め、『本荘山の会』のメンバー3名が待っていてくれました。
 自己紹介の後、遙か遠くの山頂を目指して一つの夢に向かって歩み始めました。
 鳥海山は気高く美しく人を近づかせない品格を持っていました。
登り始めはそれほど辛くないかなという印象でしたが、歩けども登れども頂上は遠いままでした。
『本荘山の会』の精鋭4人がガイドとライターを努めてくださいました。
登りのライターは石川さんでした。
「ゆっくり行きますからね」と言ったきり先頭グループと共に視界から消えてゆきました。
ライターの一人今野さんは高校の数学の先生でしたが植物学も詳しく珍しい花の名を教えてくれました。
固有種のチョウカイフスマの他ヒオウギアヤメ、イワウメ、ハクサンイチゲ、ホソバベンケイ、ヨツバシオガマ、ミヤマキンバイなど、花々は苦しい時の酸素でした。
追いつけば先陣の休息は終わり「さあ行きましょうか」を何回か経て、遂に頂上が奇妙な形を以て現れました。
 その姿は岩手の山々から遠望した優美な円錐形ではありませんでした。
その彫刻は人の創造力を遙かに超えた物でした。
 頂上の左側はある画家の手によるメルヘンですが、右側の巨大なステップは空の要塞でした。
 一等三角点のある七高山(2229m)は外輪山の最高峰ですが、200年前に噴火し出現した新山(2236m)は7m高く両者は覇権を争っています。
七高山は土と緑と花々の峰です。
一方新山は溶岩岩峰。岩ばかりの荒々しく厳しい山でした。
 二つの山が対立し屹立する構図が見る者に緊張と幻想を与えてくれます。
 植物と岩、生命と死、光と闇、善と悪など二元論の世界。
この世の終わりまで続く善神と悪神の戦いを思いました。
ある厳冬、白銀の二峰、星の衣を纏った善神アフラマズダと悪神アングラマイニュが降臨し剣を持って踊ったなら素敵だろうと想像しました。
 隊員のほとんどは七高山の頂上で満足し小休止が長くなってしまいました。
 私は朝に喘息の薬を吸入し忘れ、酸素が薄くなり不安定期に入っていました。
洞性頻拍のため意識がすーっと遠のく様でした。鞍部の山小屋で休もうと決心していました。
しかし、トイレで胃腸が楽になると兄弟の心肺にパワーが戻りました。
迷走神経の負担が減ったのでしょうか。
 雪渓を越えて新山の登り口に着き、ロック・クライミングに挑戦しました。
『すっくと立って気を引き締めて勇気を以て三点保持』を呪文のように唱え登り切りました。
 隣を進む八木先生が「私、こういうジャングルジムみたいなのだーい好き」などと今回のツアーの立て役者である佐藤 広造先生と会話を交わしていました。
二人の身の軽さを羨みながら83Kgの重力と戦い登攀を続けました。
洞性頻拍と気が遠くなることが一回ありましたが、循環器の生内先生がいつも言う言葉を思い出し切り頑張りました。
「心臓ほど強い臓器は他にない。滅多に止まらない。しかし止まりたいときに止まる。」
新山直下に噴火を繰り返す山を大物忌神(おおものいみのかみ)として祀る神社がありました。
神社は奈良時代に建立されましたが、マグマは鎮まらず江戸時代の大爆発により新山が生まれたそうです。
昼食は恵比寿、カップラそしてライスボール。前日の宿『鳥海莊』で炊いてくれたおにぎりの旨さは格別でした。秋田の米は凄い。
昼食後『本荘山の会』の御二人は地元へ、佐藤先生は分娩のため病院へ下山して行きました。
 今野先生が代表で下山のリーダーを努めてくれました。「皆さん、雪渓を行きますか?」、「雪渓、せっけい、セッケイ」。
皆は笑顔で例年より圧倒的に広い雪原を下って行きました。
私は富士山で深い砂を駆け下りた記憶が蘇り、速く降りられると直感しました。
しかし直ぐに自分の甘さを思い知らされました。



今年は雪が多く大雪渓は下山路を消していました。
リーダーが突然止まり、「下りすぎたかな…」と周りを見回しました。
次にGPSを取り出しました。数学の先生だしこれで安心と思いました。
しかしその次の言葉は「電池切れだ」でした。
私は何があっても驚かないアネルギーの状態で進行する舞台に乗っていました。
 何故か八木先生が単三乾電池2本を持っていました。そのおかげで登山路に戻れました。
次の雪渓を乗り切ればゲームセットと思った瞬間、オリンポスの神々が罠を仕掛けました。
なんと私達の進路には垂直に落ち込む10m以上の滝が待っていました。
現実はディズニーランドより面白いが怖すぎる。『しゃんめぇ』(ゴルフの青木が現実を受け入れる時に使った言葉)と言い、自然に集中するとアドレナリンシャワーはいい感じでした。緊張の直角下降のあと、何故かみんな笑っていました。
 数学者はいたずら好きの人が多いと聞きます。今野先生、強烈な思い出をありがとうございました。
 その後は濃霧の中、眼鏡を拭きながら下山しました。長く遠い石の道を辿る間に鳥海山は結晶となりました。
 校を終えるにあたり、私たちを美しく神秘的な山に導いてくれた佐藤病院の佐藤 広造先生、『本荘山の会』の石川さん、祐子さん、今野先生に感謝します。そして明るく気配りが自然で卓越した運転技術をもった岩手県交通の運転手さん(ムロオカさん)に心から御礼申しあげます。
 それぞれの皆様にまたお会い出来ることを夢にみております。
あの『天空の城』は心の中に今も浮かんでいます。

           

 

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