|
去る7月7日『山と自然を愛でる会』21名は、年に一度の県外遠征として八甲田山に登頂した。
土曜日の午後2時に病院を出発した。
高速道路に乗り一路黒石インターチェンジを目指した。病院の車2台と坂本さんの車計3台に分乗し、およそ150kmの長丁場を優秀なドライバーが安全にメンバーを運んでくれた。
目的地の近くに城の倉渓谷があり、本邦で最も長い上路式アーチ橋が架かっていた。
その中央から渓谷までの深さは122mであった。
岩ツバメが何羽も何羽も曲芸的な飛翔を披露していた。その美しい景色を堪能出来ない人がいた。簡易式バンジージャンプセットがあれば治るかも知れない。後日ネットで調べる事とした。
その日の宿は『ホテル城ヶ倉』で山岳ロッジ風の洒落た建物だった。
部屋も風呂も清潔感がありリラックスできた。夕食も良質で質も量も満足できた。
前日が誕生日だったメンバーがいて、会長と私の妻がコンビニでロールケーキと仏壇用のローソクを求め、一日遅れのHappy birth
dayを祝った。
プレゼントはピカピカと発光し点滅するバッジであった。
翌日は年に一回あるかどうかの快晴。酸ヶ湯に車を置いて、八甲田大岳に向かった。
しばらくすると、眺望が開け南八甲田の山々が見えてきた。
私たちが登ったのは北八甲田でいまだに火山活動が続いている。南は早くに活動を終えたため、湿原が多く花が豊富だと聞いた。
さらに進むとシンメトリカルな高田大岳が見え、その後大岳を含む連峰が視界に入ってきた。
八甲田は柔らかく美しくゆったりとした丸い山々が集まり、広い湿地帯には空の藍を移す池が散在し多くの花々が山人の心を癒してくれる。まるで女性のふっくらとした身体や愛に包まれているようであった。

八甲田山のプロフィルについては深田久弥の日本百名山から引用する。
『登山というより逍遥に適したこの山は、ゆっくり自分の足で歩いて、高山植物の咲き乱れる大きく豊かな斜面や、鏡のような池塘を象眼した原や、異様な形をしたアオモリトドマツの林や、そんな場所をめぐってこそ真価が納得できよう。』
私たちは最も高い大岳(1584.6m)に登り、続いて井戸岳(1550m)、最後に赤倉岳(1548m)を巡って広大な湿地帯、毛無岱で昼食を摂った。
山腹ではハクサンシャクナゲ、イソツツジ、ウラジロヨウラク、四つ葉塩竃、ヒナザクラ、イワブクロなどに会うことができた。湿地帯ではチングマは花期を過ぎピンク色の実に変わっていたが、それはそれで美しいものであった。
ワタスゲは風のままに揺れ、心をかき乱していた。
「最後の山になるかも知れない。」
私は水の貯まった右膝の痛みが限界に達していた。
それをカバーするために負担をかけ続けた両側大腿四頭筋が有痛性痙攣を起こした。
初めての経験であったが、何よりも皆に迷惑を掛けることを心配した。
痙攣は痛かったが皆に分からぬように芍薬甘草湯を飲み下した。
何とか歩けるようになり、酸ヶ湯を目指して下山した。
長い旅程であったが耐えるのが好きなので根性で下りた。
昨夜の宿『ホテル城ヶ倉』に戻り温泉療法を行った。
しかし、膝ガード用タイツとサポーターを外したらほとんど歩くことが出来なかった。
人気の温泉『酸ヶ湯』の千人風呂(混浴)を目指した人々(殆ど女性)がいたが、みのもんたが司会するテレビ取材のため『スカ湯』に終わったらしい。
帰りの車窓から鷲が羽を休めたような岩木山が見えた。
安代に入ると七時雨山(通称おっぱい山)の二つの丸い頂上が迫ってきた。
岩手山の巨大な山塊が見えると闘争心が沸いてきた。深田久弥は傲岸不遜とその山を表現している。我が登山部は9月に岩手山に登る。
なんとかそれまでに膝を治し、またあの高みに立ちたい。
BMIを23まで落とし、大腿四頭筋を鍛え、あらゆる道具を買い揃え、利用できるものは何でも利用し、石仏が笑うあの頂上を歩きたい。
危機は危機でなくチャンスでもあるのだ。
頑張っても膝が痛ければその時に言うつもりだ。『山よさよなら』と。
今はまだコレヒドールを脱出したマッカサーだ。I shall return.しばしの別れだ。
今回の反省@:膝の痛い人は山に行ってはならない。
誰も助けられないのである。自分一人で下りなければならないのだ。
山はどんな山でも危険が満ちあふれている。体力に余裕がある者しか行ってはならない。
今回の反省A:登山後二日目にテニスをしてはならない。
走れないならコートに入るなと言われても仕方のない有様だった。
わたしは下手の横好きでスポーツが好きだ。
テニスは30年近く続けているが、少しずつ鍾乳洞の石筍の如きスピードながら上達している。
パッシングは僅か一瞬の喜びだが登山は長く余韻を残す祭りだ。
スポーツは仕事に欠かせない物である。気分が明るく、心が広くなる。
日々のストレスはその人により異なるが私は大きい方に属している。テニスとクライミングは診療に不可欠だと思っている。
今期の登山活動は4月に東根山に登った切りであった。七時雨は患者さんの容態急変のため、駒ヶ岳と大白森は膝痛のため断念した。
登山日の翌日、山に登ったメンバーはどこか楽しそうなのだ。三日も四日も嬉しそうなのだ。
昔の精神科の教科書には鬱に対する登山療法の記載がある。病気でない人が登っても瞳が明るい。F5.6位のレンズがF1.2位になる。
私その笑いさざめく様が悔しかった。だから無理を承知で八甲田に登山生命を賭けた。他人には迷惑を掛けなかったが、多くの人たちの配慮を感じ続けた。ごめんね。有り難うございました。
今回の重ねた無理が私からスポーツを奪うかも知れない。
よく歩けなかった水曜日、車で帰宅中、 FMから徳永英明の『壊れかけのRadio』が流れてきた。戻らない日々への鎮魂歌だ。いつの間にか雨がフロントグラスを濡らしていた。
But never give up.

|